FF10から学べる人生の生き方とは!
こんにちはせーじザウルスです。
記念すべき初めての記事内容は私の人生のバイブルFF10についてです。
皆んなはプレイ済みですかね、この神ゲー?
まだの人、人生半分以上損してますよ!すぐに車を飛ばして買いに行きましょう。
友情、恋愛、親子愛、偏見、差別、宗教、人間の汚い部分から心温まるエピソードまで、本当に一種の聖書のような内容の濃さです!
まあ今となってはこんなに褒めちぎってますが、
発売当時小学生だった私にとっての初めての印象はホストが田舎でボール遊び三昧。。。
プレイした人には分かると思うこの気持ちw
この神ゲーとの出会いは従兄弟からでした。
彼はブリッツボールという水中でやるバスケとサッカーを足して2で割ったようなスポーツミニゲームをひたすらやっていたのでこんな歪んだ印象を持ったんでしょうな。。
まずはFF10の簡単なあらすじを、
あらすじ
−召喚士と呼ばれる人々が「シン」という厄災を倒す為に、
自分の命と引き換えに召喚する究極召喚を得る旅の物語。
「ザナルカンド」(夢の)から迷い込むようにスピラに来たというホストティーダと先代の「シン」を倒した大召喚士ブラスカの娘ユウナが出会い、
ユウナを支える為、ティーダは召喚士を守る為のガードの一員となることを決意する。
ユウナは究極召喚を手に入れ、「シン」のいない半年〜数年というナギ節を人々にもたらす為、ティーダにとっては自分の「ザナルカンド」へ帰る為、こうして旅の最終目的地であるザナルカンドへ向かう旅が始まりました。
細かく書き出すと長くなるので、必要最低限のあらすじですが本当はもっと様々な背景があります。
物語の詳細が知りたい人はGoogle先生にお願いしましょう。
因みにティーダの言う「ザナルカンド」と旅の最終目的地であるザナルカンドは異なるものです。
●古くからの慣習、常識を盲目的に信じるな
FF10はFFシリーズの中でも初めて宗教というものを考えさせられる内容になっていると思います。
スピラにはエボンという宗教があり、「シン」は文明が発展し、傲慢になった人間への「罰」であり、機械の使用をやめ、祈り、「罪」を償えば、「シン」はいなくなると説いています。
ガードの一員であるワッカは熱心な信仰者で、エボンの教えを真摯に守って来ました。
アルベド族という禁忌である機械を使用する種族を毛嫌いしており、旅の仲間のリュックと言う女の子がアルベド族だと知ると掌を返したかの様に態度を一変させたこともありました。
しかし旅の途中でエボン自身も禁じられている機械を使用しているなどの事実が発覚し、教えに疑問を抱く様になります。
更にエボンの教えが全くのデタラメであったと発覚して以降、盲目的にエボンを信じ、教え頼りで自分で考えることをしなかったことを反省する様になります。
同時にアルベド族に偏見を持たず接する様になり、ワッカはアルベド族にも彼らなりの考え方に基づいて、正義の為に行動していたことを知ります。
このことから僕が言いたいのは昔からあるルールや常識に縛られて、自分の人生を生きていくのって勿体無くない?ってことです。
ワッカのように教えに囚われ、それに基づいた物の考え方しか出来なくなると、視野が狭くなり、自分で考えることを放棄する様になります。
こういう生き方ってめっちゃ楽だと思います、自分で考えないし、状況が悪くなると環境のせいにすれば良いですしね。
アルベド族を毛嫌いしていた頃のワッカの様に物事を1つの価値観だけで見ると絶対に本質は見えず、結果的に自分の可能性を狭めてしまいます。
これって勿体無いですよね。
つまり
●他人の意見は参考に、絶対ではない。
●慣習・常識を疑ってみる
●盲目的にならず、俯瞰的になろう
これらのことが伝えたいです。
因みに僕は宗教がダメだと言ってる訳でも、慣習・常識をないがしろにしろと言ってる訳でもありません。
ただそれらに囚われて視野が狭くなり、結果的に自分自身の人生を窮屈な物にはしないで欲しいです。
すごい偉そうに語ってましたけど、僕もまだまだ未熟ですので一緒に頑張っていきましょう。笑
最後に僕がFF10で最も好きなキャラクターであるアーロンさんの言葉を送りますね。
これはお前の物語だ
うわっイケメン///
渋すぎますね。
いつかアーロンさんみたいにサングラスの似合うおっさんになることをここに誓います。